長崎港は、1571年ポルトガル船が入港し交易を求めたことで開港されました。その後、1636年に出島、1702年に新地蔵所(現在の中華街付近)などの人工島が築造され、鎖国時代の唯一の海外への窓口として、大きな役割を果たしてきました。
安政の開国以降、東山手・南山手地区などに外国人居留地が造成されると、グラバー商会などが設立され、近代産業の中心として、また明治〜大正にかけて、港湾施設や造船所などが整備され、最重要港湾(7港)のひとつとして、上海、大連、北米航路など、西日本の海上輸送の拠点(バンカー港)として発展しました。
戦後、港湾法の制定に伴い1951年に重要港湾に指定され、日本経済の復興とともに、基幹産業である造船業の生産が拡大、港湾取扱貨物も増大し、1970年深堀・香焼間の埋立による工業用地が完成し、100万トンドックなどの大型造船施設の建設が始まりました。
1972年には、外貿施設として小ヶ倉柳埠頭が整備され、その後、毛井首工業用地、皇后埠頭、小江埠頭、神ノ島工業用地が順次完成し、1995年に福田マリーナが完成し供用を開始しました。
一方、内港地区においても、五島列島などとの人流・物流の拠点、県民の交流の拠点として、また「ナガサキ・アーバン・ルネッサンス2001構想」のリーディングプロジェクトとして、1988年に長崎港内港再開発事業に着手し、元船〜常盤・出島地区にかけて整備を行い、2003年「長崎水辺の森公園」が完成し供用を開始しました。また、2009年に10万トン級のクルーズ客船を受け入れる松が枝国際観光船埠頭の完成、2012年にはCIQ機能に特化した「長崎港松が枝国際ターミナル第2ビル」を供用開始、2019年にはクルーズ客船の寄港隻数が延べ2,000隻に達しました。
物流面では、小ヶ倉柳埠頭において、荷役効率向上等を目的にガントリークレーンの供用を2017年に開始、2019年には小ヶ倉柳埠頭の拡張整備が完了し、貿易拠点として更なる活用が期待されています。
2020年には松が枝観光船埠頭において、16万総トン級のクルーズ客船が2隻同時に着岸できる「松が枝国際観光船埠頭2バース化事業」に着手し、クルーズ客船受入体制の強化を図っています。また、2021年には開港450周年と節目の年を迎えました。
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